2008年10月01日

<第19回浦安文学賞奨励賞>
過去への旅
加賀美 祐

田中曽女・画

<かがみ・ゆう>=本名・鎌田正明。昭和31年4月、埼玉県生まれ。東京大文学部卒。毎日放送(大阪)のアナウンサー、記者を経て、現在、アナウンサー養成講師。世田谷区在住。

 視野の片隅で何かが動いた。目標が現れたらしい。
 ソファに根の生えた体を、ゆっくりと起こす。壁にかけてあるモデルガンを手に取り、足音を立てないように、気配を感じた方に寄っていく。
 そいつは無防備に座り込んでいた。すぐ後ろまで、私が接近していることに気づいていない。哀れなやつだが、どんな方法であれ、抹殺せねばならない相手だ。
 息を詰めて引き金をじわりとひく。
 断続的な衝撃が腕に伝わる。ばらまかれた弾が床に当たってはじけとぶ。目標は、あわをくって、しゃかしゃかと逃げる。
 すぐにあたらなくてもいい。標的として存在し続けてくれるほうがありがたい。
 真夜中のハンティングが、この家の無気力な主人にとって、ささやかだが唯一無二の楽しみであることを知らなかったのが、おまえの不運だ。
 やつは妙な動きをし始めた。同じ場所をぐるぐるまわっている。よく見ると、左側の後ろ足がない。右側は健在だから、必死に走ろうとすると、左へ左へと曲がってしまう。
 いくらがんばっても、活路は開けない。どうしてこんなことになってしまったのか、自分の運命を呪っているに違いない。私と同じだ。
 自由を望むな。そんなもの、私は、とうの昔にあきらめているぞ。
 間もなく、目標は動かなくなった。
 腰をかがめて、黒光りするものに見入っていると、背後の高みから、呆れ顔で見下ろしている、もうひとりの自分がいるのに気づいた。呼んでもいないのに、しつこく現れる迷惑な存在だ。
 不意に、和室のふすまが開いた。一瞬、しまったと思う。妻の京子の白い顔が、ほの暗い廊下に、浮かんでいる。

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「ああ、ごめん。起こしちゃったかな」
 白々しいセリフだ。彼女はじっとこちらを見ていた。間をおいて、口を開いた。
「気分が悪くて眠れないだけ。気にしないで」
 私が何をしても、彼女は非難めいたことを言わない。たいていは我慢してしまう。
 モデルガンを持った時、京子を起こしてしまうだろうとわかっていた。
 わかっていながら、気ままな鬱憤晴らしをやめなかった。傲慢でがさつな行為。自分が嫌になる。
「そのおもちゃ……孝之に買ってあげたのかと思ってた。自分で遊ぶつもりだったの」
「いや、そうじゃないよ」
 モデルガンを壁にかけた。彼女の視線を背中に感じる。ばつが悪い。
「吐き気が止まらないんだったら、これからでも、病院に行くかい」
「……いい。いつものことだから」
 彼女の苦しみは、痛いほどにわかっている。夫婦なのだから、思いつく限りの優しい言葉をかけてやるべきだ。
 でも、気持ちのどこかに、ひっかかるものがある。どうせ形ばかりの夫婦なのだからと、冷めたささやきが聞こえる。
 京子は、部屋に戻り、ゆっくりとふすまをしめた。
 私は、おもむろに明日の準備を始めた。
 朝、子供たちの弁当を作らなければならない。米をといで、炊飯器のタイマーをセットし、冷凍食品のおかずをみつくろって、冷蔵室に移す。
 流しの食器が山になったままだ。いやな臭いがする。家事をやり始めた頃は、とても気になったが、今は慣れた。明日の昼間、ワイドショーでも見ながらゆっくり始末しよう。
 今の私には、時間はたっぷりある。いつのころからか、家事以外の時間の過ごし方を、なくしてしまった。
 趣味や娯楽を楽しいと感じるかどうかは、気分しだいだ。心が浮きたっていれば、つまらないテレビ番組でも笑える。逆であれば、何をやっても面白くない。四十年余り生きてきて、気力は今がどん底だ。
 頭の中の感動する回路が、切れてしまっているようだ。自分で切ったわけではない。原因は京子だ。
 いや、妻の行動は、きっかけに過ぎない。それはもう、すんだことだ。今の自分が、だらしないからだ。自力でもやもやをリセットすることもできない。
 即効性の睡眠導入剤を半分に割って、焼酎で飲み下した。アルコールと一緒に服用すると、あっさり眠れて、前夜の記憶が曖昧になる。いじましい殺戮も、中途半端な自己嫌悪も、忘れられるだろう。

 お寺の鐘の音で目が覚めた。毎日、午前六時に必ず鳴る。
 眠っている間は、直近の嫌な過去を振り返らずにすむ。せっかく楽しい夢を見ているのに、中断されると、もったいなくて腹が立つ。
 若い頃につきあっていた恋人が、当時のままの姿で現れ、キスをし、しがみつくように抱きしめる。いつもそこまでで終わってしまうが、わくわくする感動の余韻が心地よい。
 不思議なことに、鬱々とした主夫生活になってから、毎夜、好ましい夢をみる。精神が自ずと収支のバランスをとっているようだ。
 とはいえ、思春期の少年ならともかく、いい年した中年男が、うつろな夢体験に気分を躍らせているとは、実にみっともない。
 渋々起きて、梁に頭をぶつけないよう、中腰になって屋根裏部屋を出る。物置同然の寝室だが、三LDKの我が家で、妻と別々に寝るには、ここしかない。
 ダイニングは朝日が差し込んで明るいが、また無感動な一日が始まると思うと、輝く光も疎ましい。
 酒が飲みたい。起き抜けに、きつい酒を飲むと、すぐに全身に染みて気分が一変することを、何度かの経験で私の身体は知っている。
 しかし、それがアル中患者への第一歩であることも、頭ではよくわかっている。
 今朝は、かろうじて頭が勝った。
 作り置きの野菜スープをまず火にかけ、冷凍のえびカツやひじきの煮物を電子レンジに入れる。ご飯を弁当箱によそって、おかず入れにアルミ皿を並べ、その上に盛り付けていく。子供には、もう少し、マシなものを食べさせたいと思うが、私にはこれが精一杯だ。パンをトースターに放り込み、フライパンに卵とベーコンを落とし、スープの火を止める。
 一連の作業が終わった頃、子供たちが起きてきた。ともに中学生で、部活をやっているから朝は早い。おはようと、私が声をかけると、ふたり共いちおう返事は返す。声は小さい。
 自分でパンと玉子焼きを皿にのせ、スープをカップによそう。あとは、テレビを見ながら、黙々と食べている。
 以前は、子供たちと会話しようと努力していたが、今は、あえて話しかけない。イエス、ノーの紋切り型の返事しか返ってこないから、会話にならないのだ。私とは、のびのび話せないらしい。
 子供たちにとって私は、単に便利なだけの存在かもしれない。食事を用意し、風呂をわかし、汗臭いユニフォームも洗濯してくれる。勉強がわからなければ、家庭教師にもなる。それだけやっても、感謝の言葉はない。
 だが、動物の親子とは、そんなものだろう。鳥でも獣でも、子供は必死で育てるが、ひとり立ちすればそれで終わりだ。親が恩きせがましいのは、人間だけである。
 京子が、音もなく現れた。どんなに体調が悪くても、子供たちの見送りは、欠かさない。今日、突然死ぬなんてありえないのに、出かける子供たちの顔を見ないではいられない。
 おはようと、三人であいさつしあう。私は黙って、コーヒーを淹れている。
 京子はほとんど食事ができない。チューブに入ったゼリー状の栄養ドリンクを、口にくわえて無理に吸っている。
 元気だったころは、息子の同級生の間で、彼女の若々しさが評判だった。子供なりのお世辞で、ファンクラブを作るという話まであった。
 しっとりした色白肌のあでやかな笑顔。細身でめりはりのある肢体は、フィットした服を着れば、街のナンパ男の勘違いを誘うほど、魅力的だった。和服もよく似合い、髪を伸ばしていた。
 今、その髪はすべて抜け落ち、不自然なかつらだ。細面ながら、ふっくらしていた頬は、げっそり肉が落ちている。首筋が頼りない。江戸時代の戯画に描かれた幽霊のようで、なんとも言えず痛々しい。
 そんな妻の背後に、突然、狡猾に笑う男の影が見え、発作的な怒りで身体が震えた。心の中にどろりとした嫌なものが注がれたような不快感。思い出してはいけないと思いながら、意に反して自動的に、もって行き場のない憎悪が膨らむ。
 自らが生み出す幻影に過ぎない。私の精神がおかしいから、こんなものが見えるのだろう。疫病神に、魂をのっとられたようだ。
 京子も、男の影を見ているだろうか。私とは逆の気持ちを抱いて……。たずねてみたい気がする。だが、今更、こんな思いをぶちまけたところでどうなる。よけい惨めになるだけだ。
 私は、家族のために、この生活を続けようと決めた。それがまっとうな人間の、当然の選択なのだ。
 だが、そう信じたからといって、自分が耐えられるかどうかは別だ。
 動揺が顔に表れてしまったのか、子供たちは、そそくさと階下の自分の部屋に行った。京子も、いっしょに降りていった。
 ひとりになればなったで、取り残されたような寂寥感。家族といっしょにいたいのか、いたくないのか、私の気持ちは揺れている。
 戸棚のウイスキーのビンに手を伸ばした。ストレートで、一口腹に流し込む。
 思い出したくないことを、きれいさっぱり忘れられたら、生活は楽になる。脳は、その方面では便利にできているそうだ。都合の悪いことは、いずれ記憶の中であいまいになっていくという。
 いつまでも苦しいのは、自分の脳が未熟なせいだろうか。
 学生時代に見た、『アラモ』という西部劇。ジョン・ウエイン扮する老練なガンマンは、人への恨みを吐きすてる若い男に、
「おまえは人を許すことが苦手らしいな」と、悲しげにつぶやいた。
 私はどきっとした。自分の欠点を指摘されたような気がした。
 しかし、自分をないがしろにし、避けようとした相手に対し、人はどうしたら寛容になれるのだろう。私の処方箋は、未だ見つからない。
 子供たちが登校して、しばらくすると、京子はよそ行きに着替えていた。
「やっぱり、病院に行きたいんだけど……」
 言葉を濁したが、車で送り迎えをしてほしいと、言外に訴えている。一口飲んだアルコールが身体に残っている。すぐには無理だ。
 診察室で、また屈託なく愛情あふれる夫を演じなければならない。気が重い。

 京子は、私に離婚届けを突きつけた。半年前のことだ。
 彼女は、唐突に思い切った行動をするところがあるが、それにしても意外だった。私たちは曲がりなりにも十八年、普通の夫婦として過ごしてきたのだ。
 まったく予感がなかったわけではない。
 世間話をしなくなっていた。そのかわり、お互いのささいな所作が気に障り、あからさまに指摘しあうようになっていた。
 彼女が野菜をかむ音。私の下着を扱うときのぞんざいさ。一方、彼女のほうは、私の笑い声や普段の身なりに、苛々していた。
 だが、相談をもちかけるでもなく、いきなり離婚届けとは……。
 記憶をたどれば、善意の衣をかなぐり捨てたような激しい口論の後、
「私、どうしてこんな人を、好きになったんだろう」
 と、面と向かって言われたこともあった。
 夫婦げんかの勢いにまかせた、ただの嫌みな発言と思っていたが、彼女は常日頃、心の中で何度もそう反芻していたのだろう。
 うかつだったかもしれない。多少、彼女の願いを無視したからといって、多少、粗雑な言葉を吐いたからといって、そこまで嫌悪感をもたれるとは、思っていなかった。お互い、趣味も異なり、子供のこと以外、話題もないのだから、多少、ぎくしゃくするのは仕方がないではないかと……。
 にわかに、男の存在が気になった。長い間、意識して交わりを避けていた彼女の姿態が、やけに扇情的に見えた。この身体を、もし、どこかの男が、自由にしているとしたら……。
 問いただしたとしても、彼女は否定するだろうと思った。離婚したいというのに、不倫を自分から認めるはずがない。
「子供たちは、この家を出ないと思う。離婚して、ひとりで暮らせるのか」
 気のせいか、京子の顔がほころんだように見えた。彼女は、あっけらかんと、いっしょに暮らしたい人がいると言った。
 そんな無防備なところも彼女らしい。
 あるいは、長い間、さびた鉄がこすれあうような関係を放置してきた私への、あてつけだったかもしれない。
 「寝取られた」という古い言い回しが、頭に浮かんだ。抑えようもなく想像がふくらむ。たおやかな白い裸身を、うす汚い男にゆだねる、京子のなまめかしい姿。
 私の胸のうちは、嫉妬と怒りで熱くなっていたが、それを悟られるのは悔しい。
 娘を諭す父親のような顔で問いかけた。いちど咳払いをしないと、のどにつかえて声が出なかった。
「僕はかまわないけど、相手にも家庭があるんじゃないのか」
「彼は独身なの。最近、離婚したのよ。その前の奥さんとの間には子供がいるけど、離れて暮らしてるから……」
 いちど聞いただけでは、よく理解できなかったが、要するにその男は、二度めの離婚をしたのだった。
 私は苛立った。一般的に考えれば、ろくな男じゃない。人間関係にドライで、平然としがらみをたち切れる神経の持ち主。ある意味、危険な存在だ。そんな男に身をゆだねるとは、軽率にもほどがある。
 京子がパート勤めをしている、銀行の支店長で、私より六歳も年上の四十八歳。
 お堅い銀行で、二度の離婚はハンデになるはずだ。それを乗りこえて出世しているのだから、腹立たしいが、やり手なのだろう。
「あなたと同じ大学の出身よ。彼は法学部だけど」
 訊ねてもいないのに、妻はよけいなことを言った。メガバンクの支店長なら、年収二千万円は下らないだろう。
 私の勤め先は、お世辞にも大手とは言えない出版社だ。会社の業績は不安定で、年収は五百万にも満たない。
 妻をパートに出さなければ、子供に習い事もさせられない。収入が不安定だから、たくわえが必要だと、妻には普段から節約を強いた。
 彼女の要求が控えめなのをいいことに、化粧品も服も、容姿にふさわしい高級なものを、買ってやったためしがない。華やかに装う同年代の女性たちを見れば、引け目を感じることもあっただろう。
 そんな状況をとりつくろうように、いつか売れる本を出せれば、生活は一変すると、私は夢を語ってきた。
 そうやって無駄に強がるたびに、彼女を不安にさせていたのかもしれない。このまま、華のないみじめな生活が、一生続くのかと……。
 ある時期から、彼女の帰宅が遅くなる回数が、増えていた。
 パート仲間と食事をするから、支店の飲み会があるからと、朝、出掛けにいちいち理由を言った。うるさいくらいに。
 いちど、彼女が黒塗りのハイヤーから降りるのを見たことがある。日付けが翌日に変わりそうな時間だった。
 あのときの、門灯に照らされた京子の、花火大会の後の子供のような、異様に上気した顔が忘れられない。
 たまたま私は外に出ていたから、送ってくれた人は、当然あいさつをすると思った。だが、後席にいた男は降りようとせず、車は私の横を、逃げるように通りすぎていった。
 男に対する、私の不快な印象は、決して的外れではなかった。

 私は、うじうじ、のらりくらりと離婚の手続きを伸ばした。引きのばしていれば、状況が変わるという成算があったわけではない。彼女が出て行った後の空虚さに、自分が耐えられるか、自信がなかった。
 そんな頃、京子は、銀行の定期健診で乳がん検査を受けた。それらしい兆候はなかったが、四十歳になった女性は、受けることになっていると言われ、何の気なしに受けたという。
 結果は、にわかには信じがたいものだった。微妙な時期だったが、夫として、私もいっしょに病院に行って、話しを聞いた。
 ステージ三の中期。がんの進捗度は、ステージ四が末期とされているから、その二歩手前。五年生存率二十パーセント。
 あくまでその病院での記録だが、同レベルの患者の約半数が、手術をしても、二年以内に再発して死んでいる。統計数字は、どんな脅し文句よりも脅迫的だ。
 京子のがんは、乳房のなかの広範囲に、微細ながん細胞が生じる、珍しい症例だった。手で触れて気がつくような硬いしこりはできないから、異変がわかりにくい。しかし、ほぼ確実に転移する悪性腫瘍。
 彼女を診断した外科の医師は、口数が少なく無愛想だった。
 病院のパンフレットでは、手術回数の年間実績を誇り、名医と賞賛されている。教授という地位を意識してか、威厳を漂わせていた。それが、患者の不安を助長することには、まったく頓着していない。
 手術をするかどうか、一週間以内に決めるよう告げられた。
 京子は、死の恐怖に脅えた。すぐにでも手術を受けたいと強硬だった。他の病院にセカンドオピニオンを依頼しようという私の提案にも、聞く耳をもたなかった。妻の両親も、延命が最優先だから、一刻も早く手術をとせかした。
 あの時、私がもっと強く主張していれば、あるいは手術せずにすんだかもしれない。
 彼女の意志を尊重したと言えばもっともらしいが、おためごかしというものだ。
 直前に突きつけられた離婚届けが、彼女に対する思いやりと熱意を、阻害していたのは間違いない。もし、あの男の存在がなければ、私はもっと親身になれて、対応は違っていたはずだ。
 手術当日の朝、病室に入りながら、私は笑顔を作ろうと努力した。
「入るよ」と、声をかけて、カーテンをめくった。ベッドで上半身を起こしている京子と目が合った。彼女は、困ったような曖昧な笑みを浮かべ、目をそらした。落胆が顔に表れていた。
 彼女が待っていたのは、私ではない。あの男が、土壇場で姿を現すかもしれないと、切ない思いを抱いて、カーテンの向こう側に、神経を集中していたのだ。力が抜けて、かける言葉もなかった。
 状況がよく呑み込めなかった。彼女が、十八年も一緒に暮らした私ではなく、他の男を待望しているという事実。延命できるかどうかの瀬戸際だというのに、私では心の支えにならず、単なる世話係に過ぎないというのか。
 男が病院に来られるはずがない。私も、妻の両親もいるのに、どの面下げて来られるか。
 いや、私は考え違いをしていた。私の基準には、あてはまらない男である。あの男は、見舞いに来るのを、遠慮していたわけではなさそうだ。
 入院した当初、京子はほとんど病室にいなかった。病室内では、携帯電話は禁止だ。
 私が行くと、いつも談話室の窓際にいて、携帯電話を、じっと見つめていた。私がすぐ後ろに立っても気がつかない。誰かからのメールの返信を、待っているとしか思えなかった。
 しょんぼりとした彼女の後ろ姿を見ていて、はっと気がついた。彼女のそんな様子を、私は見たことがない。私が待ち合わせに遅れると、怒って帰ってしまう。その後、平謝りして会うと、さばさばしている。そんな性格だったはずだ。
 私は劣等感に打ちのめされた。彼女を哀れむ方向に心は向かわず、憎しみをためこんだ。
 手術室へ向かう途中、病棟のエレベーターホールで、私は普通の夫がそうするように、京子の手を握って、
「がんばれよ。必ず成功するから」
 と、話しかけた。彼女はうなずいて、手を握り返した。
 年配の看護師が微笑んで見ていた。私も妻も、振る舞いと心が乖離しているのに、彼女は気がついていない。あるいは、すべてを察していながら、私たちが夫婦としての建前に忠実であったことに、ほっとしたのかもしれない。
 手術は四時間ほどで終わった。
 
 乳がんとは、馬鹿々々しいほどに不条理な病だ。痛いとか苦しいとか、自覚症状はまったくないのに、体が醜く切り刻まれる。
 しかも、治療はそれで終わらず、抗がん剤の投与で、身体全体が痛めつけられる。治療を拒否し、民間療法や宗教に救いを求める女性も多いと聞くが、無理もない。
 出産後も形のよさを保っていた柔らかなふくらみは消え、真っ平らになった皮膚を、横に走る傷の縫い跡が生々しい。
 一週間ほど入院して、傷が癒えると、他の病院の腫瘍内科を紹介され、転院した。
 京子の担当になった、アメリカ帰りの若い医師は、開口一番、切除する前に来てほしかったと、残念がった。
 最新の抗がん剤と放射線投射で、がんが縮小することもあるという。今後の治療のためにも、各種薬剤の効果の有無がわかるので、患部は残したほうがよかった。
 気軽に講釈されるには、酷な話だった。京子は、Tシャツがたるんだ左の胸を手でおさえ、あられもなく泣いた。私の顔を、まったく見ようとはしなかったから、去った男にまだ執着しているのかと疑った。
 男は、彼女が手術をすると告げた途端、音信不通になった。薬で治すとなれば、じゃけんにはしなかっただろうか。だとしても、それを愛と呼べるのか。浅ましい、肉欲だけの男だったのではないか。
 そんな男なのに、京子の心を強くとらえて離さない。あいつは、どこかで高笑いしているのかもしれない。顔も見たことがない男の影と、乾いた笑い声の幻聴が、私を苦しめる。つくづく自分が情けない。
 でも、離婚届けは捨てた。子供たちには、母親がいたほうがいい。子供のためと、割り切ることにした。でなければ、私もあの男と同じになってしまう。たとえ形だけでも、元のさやにおさまるしかない。
 それに、京子の前途には、いつまで続くかわからない、苦しい闘病生活が待っている。夫婦としての情がどうであれ、こんな状態で、よそよそしくするのは人でなしだ。彼女の未来は、夫である私が背負う。
 会社はやめ、家事に専念することにした。収入が途絶えることに不安はあるが、こういうときのためのたくわえだ。彼女の身体に負担をかけないことが第一である。
 ところが、退院すると、京子は、部屋に落ち着く間もなく、
「あなたといっしょに暮らすわけにはいかない」
 と言いだした。ことここに至っての、思ってもみなかった強気ぶりに、私はめんくらった。いったい、ひとりでどうやって生きていこうというのか。
 彼女は窓辺のソファにもたれて、外を見ている。私と目を合わせたくないようだ。彼女の横顔を見つめながら、
「馬鹿にするな」
 と、叱りつける覇気もなく、私は困惑するばかりだった。
 身体は弱っているのに、まだ意地を張っている。まさか、あの男への未練ではないだろう。そこまで愚かだと思いたくはない。
 そうして、妻はいったんは実家に帰ったものの、二日しかもたなかった。 弟や妹が近くに住んでいて、それぞれ子供がいる。そんな家族の様子を見ていれば、母親としての心の渇きを、我慢できなかったに違いない。
 ふらりと戻ってきて、子供たちに笑顔で迎えられると、彼女は玄関先で涙ぐんだ。
 お互い、けじめの言葉を交わすこともなく、新たな人生の流れが決まった。私たちは、気持ちの上で一定の距離感を保ちつつ、変化のない日々を、惰性で生きるようになった。
 私は自由は望まない。そんなものを求めるのは、人の道に反する。
 だが、京子といっしょにいたいのか、いたくないのか、気持ちが揺れているのも確かだ。
 いったんは共存を拒否された自分が、彼女のそばに居続ける意味はない。そんな思いがこみ上げることもあるが、いっときのめまいのようなもので、気にかけまいと意識すれば、そのうち忘れる。
 京子は、じっとしていてもつらそうで、身のまわりのことが自由にできないのに、極力、私に頼みごとはしない。気を使っているのか、プライドが甘えをよしとしないのか、おそらく両方だろう。
 たまに体調が良いと、彼女は台所に立って、チャイを淹れる。インド式の、ミルクで煮出した濃く甘い紅茶だ。身体にいいからと、私にも勧めてくれる。
 そんな彼女の様子を見ていると、何となく不憫に思うことがある。人生に変転はつきものだが、この落差の大きさはどうだ。
 心ときめく甘美な夢を見た後の、むなしい幽閉されたような生活。急転直下、幸せをつかみそこねたひとりの女の無念さを、客観的に推し量っている自分がいる。
 自らの立場を考えれば、ひどく間抜けな話だが、肉欲をあきらめ、彼女を性的な対象とは考えないように、自己規制しているからだろう。そうでもしないと、諸々の暴発しそうな感情を、もてあましてしまう。無理やりで、わざとらしかろうが、達観は、有効な精神安定剤になる。
 人は、年を重ねれば、肉体の衰えに比例して精神も枯れ、生々しい感情は、消えはしなくても、次第に薄まっていくものだろうか。怒りも悲しみも、憎悪さえも、無害なものに中和させることが、できるようになるのだろうか。
 最近、京子と私の間には、ある共通点が生まれている。顔を合わせていると、どちらからともなく、昔の話を口にする。
 かつて交代で書いていた、子供たちの成長日記。家族で旅行した、白砂の浜辺でのたわむれ。息子が足を骨折した、サッカーの試合。バレエの発表会での、娘のおおげさな舞台化粧。

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 はるか以前のできごとなのに、なぜか新鮮に感じる。お互い、心配も喜びもいとしさも共有していた、心豊かな時代が、確かにあったのだ。
 おぞましい記憶ほどのインパクトはないが、好ましい記憶もまた、消え去ることはない。
 私たちは、思い出という心の財産のみをよりどころにして、暮らしていけるだろうか。過去への想念の旅が、かつての共感と安らぎを呼びおこし、共に生きる幸せを感じられるときが、いつかやってくるのだろうか。
 先のことはわからない。酒の量は相変わらずだ。
 ただ、もう夜中にごきぶりは撃たなくなった。   (了)