2007年06月01日
<暮らしの中の世界史>
砂糖から見たイスラーム
東京学館浦安高教諭 小橋 正敏
5月8日、東洋文庫「東洋学講座」500回記念講演会が開催された。
演題は、東京大学名誉教授で東洋文庫研究部長の佐藤次高氏による「砂糖から見たイスラーム社会」であった。
財団法人東洋文庫は、1924(大正13)年、三菱合資会社の第3代岩崎久弥により、日本における東洋学の発展をはかるために東京・駒込に設立された。東洋文庫の誕生には「モリソン文庫」が基礎となっている。
1897(明治30)年オーストラリア生まれのジョージ・E・モリソンは、ロンドン・タイムズ特派員として北京に赴き、辛亥革命以後は中華民国の総統府顧問として活躍した。第一次大戦終局に際しては、パリ講和会議に中国代表顧問として出席している。
モリソンは、中国に関する欧文資料を収集しており、その範囲は、書籍、地図、絵画、新聞、パンフレットにまで及んで計3万点を越え、のちに「モリソン文庫」の名で知られるようになった。
パリへ赴く前年の1917年、モリソンはその蔵書を一括して売却することにした。いくつもの有力な大学や研究所が名乗りをあげたが、「モリソン文庫」の価値を知った岩崎久弥はモリソンの言い値でこれを買い取った。
この後、岩崎は漢籍の収集にも力を注ぎ、これをもとに東洋文庫が誕生したのであった。
さて、すでに佐藤次高氏は『イスラームの生活と技術』(山川出版社)によって、「現代の食生活にも直結する砂糖生産の話題」をわかりやすく紹介している。
それによると、イスラーム時代初期のイランでは、ペルシア湾東岸の一帯や内陸のキルマーン、その北のフージスタン地方など西南部が砂糖の主要な生産地であったという。特に、9世紀のフージスタン地方のアフワーズは、イスラーム世界第一の砂糖の生産量を誇っていた。
アラビア語で砂糖をスッカルといい、11世紀末以降の数次にわたる十字軍遠征やイタリア商人の活躍を通じて、砂糖の強烈な甘味を知ったヨーロッパ人は、シュクル(フランス語)、ツッカー(ドイツ語)、シュガー(英語)などの語を西欧キリスト教世界へ広めた。
13世紀末のエジプトはマムルーク朝の支配下にあって、サトウキビ栽培が下エジプトから上エジプトへと急速に拡大していく時代であり、すでにイスラーム世界随一の砂糖生産国へ変貌していた。
16世紀以降のカリブ海諸島では、アフリカ出身の黒人奴隷が集団でサトウキビ生産に従事させられたが、エジプトのサトウキビ栽培は自由身分の農民や近隣の農業労働者によって担われていたため、農作業に奴隷が投入されるのは、極めてまれであったことがイスラーム社会の特徴であった。
マムルーク朝前期のエジプトの歴史家ヌワイリーによると、当時の精糖法は、まず砂糖きびを石うすで圧搾した後、そのしぼり汁を煮沸して、ウブルージュとよばれる精糖用のつぼに入れて寝かせておく。すると、粗糖(カンド、のちにヨーロッパに伝わり、キャンディーの語源となった)と蜜糖に分離する。カンドは黒褐色の固まりであるが、アラブ世界では「赤砂糖」とよばれ、沖縄の「黒砂糖」と同じである。この粗糖に水と牛乳を加えてさらに煮沸すれば、「白砂糖」と上質の蜜糖が得られるという。
これまで、当時使用されたウブルージュの完全な形での遺跡は発見されていない。今回の講演会では、アフリカ最初のイスラーム都市であるエジプトのフスタートの遺跡から今年4月に発掘されたばかりのウブルージュ(内径17センチ、長さ約20センチ)の残存部分が紹介されたことは興味深い。
10~15世紀にかけて紅海と地中海を結ぶ遠隔地貿易に活躍したムスリム商人集団であるカーリミー商人によって、エジプト産の砂糖はアレクサンドリアを経由して、ジェノバやベネチアなどのイタリア商人に売却された。もっとも、1423年、財政難を理由にマムルーク朝政府によって砂糖の精製と販売が独占化されると、カーリミー商人は没落していく。
砂糖は商品としてばかりでなく、薬としても民間で広く用いられた。薬理学者イブン・バイタール(13世紀)の『薬事集成』の砂糖の項目では、「砂糖は胸や肺の痛みを取り除く」とある。そのため、当時流行していたペストの痛みを和らげるのに砂糖が用いられた。
1347~48年にシリアからエジプトにまん延したペストは、イタリアの商船を媒介にしてヨーロッパに伝わり、黒死病の名で猛威をふるった。この時の砂糖の値段は、通常の5~6倍へと跳ね上がり、生薬商(アッタール)に法外な利益をもたらしたという。
また、カリフやスルタンが臣下に砂糖を賜る習慣は、ファーティマ朝時代から始まっていた。マムルーク朝時代には、ラマダーン月(断食月)にアミール(徴税官・行政官)や騎士に砂糖を賜ることが慣例となっていた。この月に固有な甘菓子を食べ、体力の回復をはかったのである。
さらに、マムルーク朝期の歴史家マクリーズィーの『エジプト地誌』には「ラジャブ(第7)月になると、カイロにある砂糖菓子の市場には美しい光景が見られる。馬、ライオン、猫などをかたどった砂糖菓子がつくられ、糸で店先につるされる」と記されている。
このことは、14~15世紀にかけて砂糖消費がかなり大衆化していたことを示しており、預言者や聖者の聖誕祭では、現在でもさまざまな種類の華やかな砂糖菓子が店頭を飾っている。
(歴史教育者協議会)
