2007年01月01日

<投稿>
私の歩んできた道
50年ぶりの卒業

宇田川敬之助(69)

 
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 私の結婚は早かった。昭和33年4月、満21歳のときであった。同期生の中でも、男性ではおそらく五指に入っていたと思う。両親を早く亡くし、姉5人の末の男ひとり、家を継ぐ立場であったことがその主な理由である。
 高校は都内の公立校の定時制に通って卒業。大学進学は当初からあきらめており、4年生になっても受験のための勉強はしていなかった。
 卒業を半年後に迎える昭和30年秋に、私は急性虫垂炎で入院。少しこじらせた状態から手術後10日あまり病院生活を送ることになった。
 ひとり病床で自分の将来について考える時間をもてた中で、あきらめていた「大学進学」への思いが一気に高まり、面倒をみてもらっていた姉夫婦に「学費と、生活費の少なくとも半分は働いて稼ぐつもりなので、昼間の大学へ行かせてほしい」と懇願した。
 私は教師になりたかった。それと早稲田大学で学びたいとの思いが強かった。
 早稲田大学教育学部を受験目標と決め、「落ちたらできるだけ早く結婚して家を継ぐ」と約束し、受験した。夜間高校から昼間の大学、それも10倍近い競争率の教育学部、受験勉強の時間も短く、今考えれば無謀としかいえないことだったのだが……。
 結果は見事に不合格。それでもあきらめきれず、合格者番号の掲示板を祈る気持ちで何回も何回も見直していた自分がそこにいた。
 その2年後、私は結婚し、妻とあわせて42歳という文字通り若い2人で家を継いだ。その翌年には縁あって浦安町役場に奉職し、地方公務員への第一歩を踏み出した。
 9年間、地方行政にたずさわり、その経験をもとに地方政治家として28年間、がんばらせていただき、平成10年の選挙で現役を引退した。
 千葉市幕張地区に本部のある「放送大学」については、県内にできた国関係の教育施設として開校当時視察した経緯もあり、いつか機会があれば学んでみたいと思っていた。
 平成12年4月、好きな科目を履修できる「選科履修生」として受講手続きをとり、文学関係、地方自治を中心とする政治関係、さらに英語も1科目履修。12年度、13年度の2年間に放送授業で12科目24単位、面接授業で3科目3単位を取得することができた。
 放送大学での単位取得はそう簡単ではない。テレビ・ラジオを利用しての放送授業が大半で、前期・後期と2期制。それぞれ中間に通信指導問題の送付がある。
 この問題を期限までに回答し、期末試験の受験資格を得て、それぞれ所属の学習センターで単位取得試験を受ける。試験は二択または一択の選択方式の問題が多いが、科目によっては論文形式の記述問題もある。
 一番の壁は100点満点の60点以上をとらないと不合格で、再試験となることである。再試験の1回目だけは授業料なしで受験できるが、それでも不合格の場合は、再度受講の手続きをとるか、必修科目を除きその科目を断念するかで、厳しいものがある。
 3年目になり、多少の自信もついたこともあり、卒業を目標とする全科履修生として登録し、学習にのぞんだ。選科履修生として今までに取得した単位すべてがそのまま活用できることも追い風になったと思う。
 それから3年6カ月、専攻に定めた「社会と経済」の課程を履修し、この秋に送付された単位認定書で、卒業に必要な124単位を上まわる130単位を取得したとの知らせを受けた。ついに念願の大学卒業、学位号の取得も間近い。
 放送大学の門をたたいてから5年半をこえるが、全科履修生の課程は規定の8期4年に達していない。卒業は平成18年度後期の終わる3月まで待たなければならない。
 今は楽しい思い出になったが、全科履修生になってからの約4年間にもいろいろなことがあった。
 必修科目のうち外国語3科目6単位は、60代後半の私にとって簡単に取得できそうもない高いハードル。それでも英語Iと英語IIIはなんとか1回で試験にパス、4単位の認定を受けることができたが、第2外国語で履修した「中国語I」が難問だった。
 結果は危ぐしていたとおりの不合格、再試験ということになってしまった。次は必ず合格しなければと思っていたときである。数年前、中国瀋陽・北京をまわるツアーで同行し、それ以来文通をしている方から、北京で中国語の短期留学をしてきたとの便りをいただいた。
 早速、電話で詳細をたずね、国際交流事業団の企画する「中国短期留学熟年2週間コース」に参加することにした、留学先は北京市内でも郊外に位置する国際青年研修大学で、私の学んだクラスは78歳の男性と私、ほぼ同年輩と思われる女性2人、40代と20代の男性、あとからフランス人の若い男女2人が入り、8人になった。
 先生は中国人の女性2人が1日おきに交代で講義してくれた。日本語はいっさい使わない。中国語と英語だけだが、基礎から教えてくれた。単位取得試験では中国語の発音の基本で「四声」が難解だったが、実質9日間の短期留学でだいぶ理解できるようになったのが収穫だった。
 この短期留学では、中国語の学習だけでなくオプションで水墨画の基本も学ぶことができたし、受講の間に北京市内にでかけ、施設見学や「京劇観賞」などを随時自由にできたこともよい体験であった。
 なによりもこの短期留学のおかげで無事再試験での合格を果たすことができたことが大きい。また、放送大学での挑戦が、人生の貴重な経験を生んだことになる。このほか、面接授業での先生方による身近な講義と意見発表、ともに学ぶ学生間の交流など、暑さ寒さもあり大変なこともあったが、放送大学だから得られた世代を超えたコミニケーションは大きな成果であったと思う。
 「この春は 蛍雪甲斐あり 老学士」。おかげさまで50年ぶりの卒業ができそうですと、今年の年賀状に書いた。卒業式は3月24日、渋谷のNHKホールで行われるとのこと、なにがあっても参加したいと思っている。
 (富士見2在住)