2006年06月01日

名声や世代差越え
式後は助言や歓談
第17回浦安文学賞授賞式・祝賀会


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 祝賀会では、4回目の応募で奨励賞に入選し、「渡辺先生に会うために応募し続けました」という市内在住の宇多さんが渡辺氏に「連載小説を書いている途中で、今まで書いてきたことは矛盾するけれども、こうした方が面白くなると思うことがあるのと思うのですが、そういう時、こそっとストーリーを変えてしまうことはあるのでしょうか」と質問。
 渡辺氏は「こそっと変えることはありません。ただ、ストーリーを変えることはありますが、それは主人公にせがまれて変えるんです。ぼくが考えていた通りではおかしい、主人公はこう書いてほしいと願っている。このように主人公の声が聞こえてくるようになると、その作品は半ば成功したも同然です。作家が冷静な目でコントロールしすぎると、小説は良くならないというか、型にはまったものになりすぎます。唯一、それでうまくいくのは推理小説だけですね。普通の小説では、作家が主人公に埋没し、引っ張ってもらうほうが良いようです」。
 ラストの書き方についても「小説を書き慣れていない方は結論を明確に出そうとするけれども、小説の結論というのは評論と違うから、こういう結論になりました、とはっきり書いてはいけないんです。読んでいて、じーんとゆっくりにじんでくるような形にするべきです」とアドバイス。
 仕事を辞めて、執筆に専念している大賞受賞の鈴木さんには「仕事は何かしていた方がいい。そうでないと、書くことがだんだん観念的になってしまうから」と助言しました。
 佐久間理事からは、最近、平塚で起きた母親が娘を殺したという事件のニュースを見て、渡辺氏が母と娘をテーマに書いた『桜の樹の下で』を連想したという話があり、この事件について感想を求められた渡辺氏は「日ごろ起こっている事件をもとに書くときは、その事件を起こした人たちの心の内側に迫って書くべきです。彼らの間に何があったかは分からなくても、事件の裏側には人間が心の奥に秘めている怖い、でも、本音みたいなものが潜んでいると思うのです。事件を見て、良い、悪いと言うのは簡単ですが、そうせざるを得なかった、自分でもコントロールできない人間の本性をしっかり書きこめば、立派な小説になります。小説というのは、常に人間の奥にある本音を書くことであり、自分を書くことでもあります。自分の内側に潜んでいる人には言えないどす黒いものや、いやらしいものにしっかり目を据えて書いてほしい」と話していました。